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国鉄EF80形電気機関車

EF80形電気機関車(EF80がたでんききかんしゃ)は、日本国有鉄道(国鉄)が開発・製造した交直流両用電気機関車である。

1961年6月1日、常磐線の取手 - 勝田間が電化されたが、従来の直流電化では茨城県石岡市[1]柿岡にある地磁気観測所での観測に影響を与えるために交流電化とされた。この区間を走行する電車・電気機関車は取手 - 藤代間にデッドセクションを設けて、走行中に直流と交流とを切り替える車上切換方式とすることが決定し、国鉄では、1959年にED46形(後にED92形)1両を試作した。日本初の交直両用電気機関車である同形式は東北本線や常磐線で各種試験が行われ、試用結果を反映させて開発・製造されたのが本形式である。

交直流両用機関車で機器搭載による重量増を抑えるために、ED46形で採用された1台車1モーター2軸駆動方式とカルダン駆動方式を踏襲[2]し、車輪1軸あたりの荷重(軸重)も1次形では 16 t を実現している。整流器はシリコン整流器を採用した。また、電気暖房用電源として電動発電機 (EG) を搭載[3]した旅客貨物両用機と、それを持たない貨物専用機の2タイプがある。

1962年に量産開始し、1967年までに63両が製造された。

製造年次別詳説 [編集]

1次形 [編集]
1962年 - 1963年に50両 (1 - 50) が製造された。引張力伝達方式は心皿方式。埋め込み式になった前照灯部分が特徴で、車体前面から上がってきた雨水が溜まり腐食することへの対策として前面窓上に庇が設置された。 1 - 30 が旅客対応形で EG を搭載する。また、1 - 10 は1968年にブレーキシステムを AREB 電磁指令式自動空気ブレーキに変更し、20系客車牽引対策[4]として、増圧圧縮空気や空気バネへの空気供給のために元空気溜管の引き通しが設置された。製造メーカーは、1 - 13・21 - 27・31 - 50 が日立製作所、14 - 20・28 - 30 が三菱重工業である。

2次形
水戸線電化対応として、1966年 - 1967年に13両 (51 - 63) が製造された。1次形では心皿式台車のピッチングが問題となったため、引張力伝達方式が引張棒方式になった。正面は前照灯を埋め込み式から張り出し式に変更し、窓上の庇を廃した。側面エアフィルタ上の明り取り窓がHゴム支持に変化している。また総重量が 97.8 t に増加した。59 - 62 が旅客用で EG を装備。63 は EG の代わりに静止形インバータを試験的に搭載した。製造メーカーは、31 - 52・59 - 63 が日立製作所、53 - 55 が東芝、56 - 58 が三菱重工業である。

運用の変遷 [編集]
1次形は田端機関区(現・田端運転所)に、2次形は勝田電車区(現・勝田車両センター)に新製時に集中配置[5]された。後に勝田配置は解かれ、田端配置車を含む一部車両は新規開設された内郷機関区に転属[6]となった。1985年の内郷機関区廃止に伴い、再び田端区に集中配置[7]となっている。

常磐線上野 - 平(現・いわき)間で、寝台特急「ゆうづる」・寝台急行「十和田」をはじめとする各種の旅客列車・貨物列車に使用したほか、以下の区間で貨物列車に使用した。

東北本線(田端操 - 郡山貨物ターミナル) ※ 上野 - 黒磯間を中心に臨時の旅客列車で使用した事例がある。また1960年代後半から1970年代前半にかけて田端機関区所属の本形式が宇都宮運転所所属のEF57形・EF58形運用の一部を代走した例があり、急行「八甲田」を牽引したこともあった。
水戸線 (小山 - 友部)※ 郵便車併結の客車列車が存在し、本形式で運用された。
総武本線(新小岩操 - 佐倉、新小岩操 - 金町)
外房線(千葉 - 蘇我)
1968年に製造が開始された交流電化区間 50 / 60 Hz に対応した後継形式のEF81形電気機関車が余剰となった1980年代前半には急速に置き換えが進み、1986年までに全車が廃車され形式が消滅した。JRへの承継車両はない。

保存車両
サクソニ ルンバー ソブー ミルク てやり ライフ レビス 待ちぼう マジシャン 青春 オーバ フェー スクリュー ディトム チグリ ファーレ レギュレ レゾナ クホス フェムド オタク サテュロス マキシ るもい ステッチ チヂミ ボート トップ ジャッ 大同情報 ジュラル ストロ カバオ ルビー ブロー キング イラマチオ 月夜の オブシデ ジップ ギモーブ マッチ 幸運快適 つる菜 ラナイ メコン リイシュー スラッシ ローテー だて

2両が静態保存されている。

EF80 36 - 大宮総合車両センター
EF80 63 - 碓氷峠鉄道文化むら

軽軸重・直流化改造構想 [編集]
本形式を直流専用機に改造する計画が立案された[8]が、実現には至らなかった。詳細は下記の通りである。

製造後13 - 14年が経過した1970年代半ばになると、本形式は交流機器および周辺部の劣化が目立つようになり、故障件数も直流機関車の平均値の2倍にまで達するようになってきた。しかし抜本的な対策を行うには経費がかかるため、改修は容易ではなかった。一方で、地方線区の中には、軸重制限から標準形機関車の入線が困難な路線も多く、旧形式機関車の老朽化が進みながらも、その淘汰は遅れていた。

そこで当時の国鉄大宮工場が着目したのが、本形式に採用された軽軸重化の仕組みである。製造時に交流機器の軽量化が困難であったために、軸重軽減のため一台車一電動機方式が採用された本形式から交流機器や電暖用発電機を撤去し、直流機とすれば、軸重が軽くなり地方線区への転用が可能となる。また交流機器撤去により、交流機器劣化による故障の問題も同時に解決が可能となる。

置き換え対象については、すでにED62形の落成が見込まれていたためこれによって置き換えられるED18・ED19形は除外され、EF10・EF12形が対象とされた。

改造内容 [編集]
概要は下記の通りである。

撤去対象機器の総重量は 17.3 t であり、撤去後の軸重は当時最も条件の厳しかった飯田線(飯田 - 辰野間)の軸重 13.6 t をクリア。
重量軽減による影響を抑えるため、台車の改造やブレーキ率を変更。
トンネル断面の小さい身延線等への入線も考慮し、パンタグラフを PS19 形→ PS17 形へ変更の上、設置位置を車体中心寄りの屋根上としたうえで屋根をフラット化。また主抵抗器冷却風道の形状を変更。
一部消耗品の新形式への変更など体質改善工事を実施。

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2009年03月23日 10:39に投稿されたエントリーのページです。

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